[仕事]


ミカヅキカゲリ


「ミカヅキさんは仕事をどう考えているんですか?」
と訊かれた。

素知らぬ顔をする。
そのひとが云いたいことは判ったけれど。
「作家になります。」

「いや、それはそうでしょうけれど、それまでの間。」
「新人賞に挑戦します。」
「いや、もちろんそうでしょうけど、仕事はしないんですか? どうやって食べて行くんですか?」

わたしは渋々答える。
「年金。」

そのひとは露骨に顔を顰める。
「うわー、そうなんや。」
その声には驚きだけでなく、かなりの非難もこめられていた。

だって。
だって、とわたしは思う。

「わたしはそう云うふうにはできていないのだもの。」

それは、或いは選民思想であり、或いは諦念だ。
働くと云うことに、わたしはおよそ向いていない。
わたしにできることと云ったら、歌うことだけ。
詩を書き、短歌を詠み、歌を作ること。
それは、確かに「働く」ことからは、隔たっている。
そのひとがたぶん思ったように、税金で生きて行くことに、わたしは罪悪感を持つべきなのかも知れない。

友人が昔よく、わたしのことを称して、『アリとキリギリス』のキリギリスのようだと云っていた。

でも、わたしは思うのだ。
「世界には、キリギリスだって必要なはず。」

わたしがやっていることは、
経済的には無価値だ。
だけど、歌のように経済的に無価値なものでも、世界には必要なはず。
働き続けるアリが、一瞬、手を休めて立ち寄る場所としての文化。
その後また日常に戻って行くための勇気に、わたしはなりたいのだ。

ところで、
わたしは障害者だ。
四肢麻痺だし、高機能自閉症と云う発達障害も抱えている。

仮令特性的に働けたとしても、経済的には無価値だ。
現状、税金に頼らなければ、生きて行けない。

ぢゃ、無価値なのか?

そんなことはないはずだとわたしは思う。
世の中にはいろいろな理由から、「ふつう」よりも「弱い」人がいる。
「弱い」人の立場を獲得することで、社会はよりやさしくなれる。
より成熟できる。

だから、障害者はただ生きているだけでもいい。
社会を善くしてゆける。

その前提に立ち、
わたしは敢えて歌っていると云おう。

歌は、わたしにとっての仕事だ。
わたしの歌を通して、わたしは誰かの勇気になりたい。

昨日は節分だった。
今日から春だ。
新たな季節、わたしは弛まず歩いて行こう。
唇には歌をいつも携えて。
働き続けるアリたちが、疲れた時に立ち寄るべき場所を耕そう。
それがわたしの仕事。

2013.02.04.