[レッテル。]


ミカヅキカゲリ


恋人に別れ話をした。
すっきりしたのだけど、友達に報告したら、反応が微妙だった。

「こっちから云ってやること、ないよ。」
彼女は云う。

「だって自分から別れを切り出したら、障がい者を見捨てるなんて何て酷いやつ!てレッテル貼られるじゃん?」
だから、相手は云わないのだよ。

えー。
わたしは腑に落ちない。
わたしから振ったのに、なんでー?

しばらく考えてみて、判った。
彼女にとって、わたしが障害者だと云うことが重大なのだ。

哀しくなった。
わたしはひとりの人間として、恋人とつき合い、別れたつもりだった。
彼女とも、ひとりの人間として、友達だと思ってきた。

でも、わたしの考えすぎでなければ、それは幻想だったと云うことになる。
差別の萌芽がそこには潜んでいる。

レッテルを貼っているのは誰か?
彼女の方だ。

レッテルを貼られるよ、と親切に云うことが、
わたしにレッテルを貼る行為なのだ。

障害者になって、善かったと思っている。
普段は。
だけど、今は酷く哀しい。

でも。
それでも。
わたしは自分を宥める。
わたしは「鉱山のカナリア」になろう。
自分が感じる、「違和感の気泡」を大事にしよう。
気付いたことは、世に問うていこう。

この脆弱な躰(からだ)と心を抱えて、生きて行く意味は、
きっとその程度しかない。


2013.08.31.