障害

「フツーのひとと同じように扱ってあげたいんです。」

わたしが発達障害ゆえの苦痛を訴えると、介助者が云う。

でも、だって、
違うのに?

「歩けないことと同じでしょう?」

云うと、「そうですけど、」と云う。
「ミカヅキさんだって、特別扱いは厭(いや)でしょう?」と。

反論することばをわたしは持っていなくて
仕方なく云う。

「頓服をください。」

でも、だって、
顕かに
違うでしょう?

それは、
特別扱いなんかぢゃなくて、
「合理的配慮」ってやつなんぢゃないの?

介助者が入浴介助できないと云う。
それで、コーディネーターからその介助者の前の介助者の時間に、入浴できませんかね、と相談された。
だけど、わたしはそうしたくなかった。
だから、「難しいです」と伝えた。
コーディネーターは「判りました、」と答えて、入浴介助できない介助者の時間に同行に来てくれることになった。

その話は終わって、問題ないのだけど、わたしはぐるぐるし、死にたくなってしまう。

ひとりで入浴できないのだから、それぐらい合わせるのが当然で、やらないのは「わがまま」だと云う風潮がそこにはある気がして。

今日も夜勤帯で入浴しようと思っていた。
そう云ったら、「できれば、同行のうちにお願いできませんかね、」と云われた。

いったんはその予定にしたけれど、ぐるぐるし出したわたしにとって、従うことは苦痛でしかなくて。
泣きながら、Gさん(自立生活センターの人)に電話して、「気にする必要、ないよ。」との言葉をもらって、
中止する。

容易く死にたくなってしまうので、困ってしまう。
発達障害のミーティングでも、「企死念慮(きしねんりょ・死にたいと願うこと。ただし自殺願望と違うのは、客観的に理解できない理由で死にたいと願うことである。)」がよく話題になる。
みんな、死にたくなると云うのだ。
「人生とは、浅ましさとの闘い」だと云っている人もいた。
わたしは基本的に死にたい人なので、その気持ちはよく判る。

ふだんは今の自分には生きて行く意味も価値もあると思えているのだけど、
そうやっている時でも、死にたいのは背後に潜んでいる。
そうして、ふとしたきっかけで、わたしは死に引き寄せられてしまう。

■発達障害の勉強会用■

~わたしの場合~

2013/1/20作成。

わたしの傾向について書いて行きます。

・空白の時間が苦しい。

発達障害の特徴として、空白の時間、何も予定がないと、混乱すると云うのがあります。
何もすることがないと、頭の中は余計な考えでいっぱいになってしまいます。

わたしの場合。

たとえば、交代のタイミングで何もできなくて待っていると云った場合が苦しいです。
どんどん考えてしまって、
最終的には死にたくなります

交代のタイミング、片づけをするのは、たとえほんの少しの間でもパソコンをやらせるなどして空白の時間を持たせないようにしてください。

空白が苦しいと云うところでは、
無音も刺激がなくて考えてしまうので、常に音楽を流します。

・体温調節が苦手。

定型発達の人は、寒かったり暑かったりしても自分で体温調節ができるみたいだけど、発達障害の特徴として体温調節ができません。

わたしの場合。

体温調節ができません。
寒かったら、躰もそのまま冷たくなります。うがいの水でも冷たくなってしまうので、最近はお湯でやっているのです。
逆に布団を被りっぱなしだったりするとどんどん熱くなって行ってしまいます。寝入ったころに布団を替えてもらうのはそのためです。

・薬を飲んだら何かをしていないと落ち着かない。

空白が苦しい発達障害の特徴として、定型発達の人ならば寝て何もしないことで、落ち着くような場合でも、何かすることで意識が逸れて余計に考えないで落ち着けると云うのがあります。

わたしの場合。

安定剤を飲んだ時には、寝ていればいいのに、と思うことだと思います。
でも、何もできないと余計に考えてしまうのです。
最終的には死にたくなります。
だから、パソコンに向かって、文章を書きます。
そうすることで、落ち着けます。

詳細はこちら

わたしは高機能自閉症だと云われている。
高機能も高機能なので、一見、何の障害もないみたいに見える。
でも、やっぱり拘泥(こだわ)りと云うのはあるもので。
仮令ば、時間。
おやつに行くためにスタッフがわたしを起こしに来るのは15:00と決められている。
それをスタッフによっては14:45くらいに来たりする。
それがどうにも気持ち悪い。
大仰に云うなら、権利を剥奪されるような気分になってしまうくらいだ。
その気持ち悪さはともすれば「死にたい」と容易く結びついてしまう種類のもので。
そう云うところが、たぶん、障害ゆえなのだ。

自立生活センターの介助者は指示ありきなので、
無言のやり取りが苦手なわたしには
実は、ありがたい(発達障害ゆえ)。
だから、関係作りも今のところ、愉しめているし、
ひとり暮らしをはじめても、希望が持てると思うのだ。

障害カテゴリでは、ミカヅキカゲリの抱えている障害について書いて行く予定です。
ミカヅキカゲリは一級障害者だ。
身体と精神、両方の障害者手帳を持っている。
身体は、四肢麻痺。
精神は、発達障害の高機能自閉症。
自分で自分の障害を考えた時に、重大に感じるのは発達障害の高機能自閉症の方だ。
四肢麻痺は確かに判りやすく機能が損なわれている。
不便でもある。
だけど、わたしと云うパーソナリティには、直接関係ない。
でも、高機能自閉症は直接わたしと云うパーソナリティに関係する。
わたしが今のように考える根底には少なからず高機能自閉症が関係する。
もっと云うなら、そもそも、わたしが四肢麻痺になったのは、自殺未遂を図ったからである。その自殺未遂の原因はわたしがずっと抱えて生きてきた、生きにくさにある。
生きにくさ。
物心ついたころからずっと悩ませられてきた。
世界に慣れることができない。
観念的なことに思い悩んでは、実際的な生活の前で立ち竦んでしまう。
仮令(たとえ)ば、わたしが思い悩むのは<点>について。
<点>とは、部分を持たないものだと定義される。
長さを持ったらそれは<線>だし、面積を持ったら<面>だ。
純粹なる<点>は、現実には存在し得ないのだ。
そんなことばかりを思い詰めていて、実際的な生活に立ち竦んでしまう。
わたしはおよそ実際的にできていない。
そう云うわけで、生きにくさを抱えたまま、大人になるまで生きてきたわけだけど、耐えられなくなって、自殺未遂を図ったのが2006年の年末。
病院に運ばれて意識を取り戻した時には、まだ躰は動いた。
意識は断続的で、夢を視続けた。
そうするうちにだんだん、躰が動かせなくなって行った。
そして、わたしは四肢麻痺になったのだった。
四肢麻痺になって、判りやすい「障害者」になって、わたしはなんだか楽になった。
人生のレースから脱落することができると云うような。
この云い方には賛否が分かれるところだろうと思うけれど。
その後,実家のある、北九州に帰って、最初は病院を転々とした。
2009年の7月、身体障害者支援施設に入った。
今のわたしが障害者であることは疑いないことだ。
わたしは自分のアイデンティティを帰属させられるところを求めてきた。
その昔にはセクシャルマイノリティーと云うところにアイデンティティを帰属させられないかなとも思ったのだけどうまくいかなかった。
だから、今、わたしはわくわくしている。
障害者として、アイデンティティを帰属させて行けるところを見つけたのだ。
奇妙に聞こえると思うけど、障害者になって、わたしは楽になった。