2012年 8月

区役所の人の前で泣いたことについて、父親からダメ出しのメールをもらった。

区役所の人も必死だよ。一人に24時間出すなんてそんなに前例がないからな。だから、こちらの粘りが必要だ。それには、泣くのは反対。
泣く作戦より、相手を味方にする作戦が良い。そのためにはニコニコしていっしょに頑張ろうと思わせる方が良い。とにかく粘り強く分かって貰う為ニコニコ作戦がいい。泣くのはやめた方がいい。
多分粘れば認めるだろう。認めないならもう認めないと結論が出てると思う。ここが頑張りだね。

Gさん(自立生活センターの人)と父親のスタンスがあんまり違うので、苦笑させられた。
父親は子供を相手にしてきた人で、Gさん(自立生活センターの人)は自立生活運動を闘ってきた人だから、この違いなのかな、と思った。
そして、お父さん、わたしは今、闘っているところなのだよ、と。
24時間の介助をつけないことについて、Gさん(自立生活センターの人)のメール。

やはり施設から出る際には、基準を施設内での実介助時間数のみ
(見守り介助を算定しない)で算定するので24時間は必要ないという判断が北九州の考えです。
表向きは認めませんが。
今回はカゲリのケースでこの間違った慣例を打破できるかの闘いです。
数年前には北九州で24時間介助はあり得ませんでした。
それを交渉を積み重ね、いまは、必要ならば24時間を出すということに変わりました。
そして、こうした事例が一つ出ると行政は継続性と中立性の原則から似た事例には
24時間を比較的簡単に出すようになりました。
今回違うのは、僕のケースは自宅からのひとり暮らしで、深夜介助の記録など
減らすための材料を行政は手に入れられなかったのに比べ、施設には実介助記録が
残っているのでこれを根拠に減らそうとするはずです。
しかし言ってるように、呼ばれていない時間も「見守り介助」は続いているわけで、
ここをきちんと介助時間に算定してもらえるか、そして、見守り介助がカゲリには
必要か、を認めさせられるかがキーです。
これはカゲリ一人の闘いではないんですよ。
今後、施設から出たがる仲間に希望の道を開けるかどうかの闘いです。
カゲリの耕す道が、仲間の障害者の道となるのです。

なんだか頑張ろうと思うよね!
わたしが耕す道はわたしひとりのためにあるのではないのだな、と思うと。
Gさん(自立生活センターの人)からまたメールが届いて、わたしがお父さんに対して、感じたことが文章化されていた。
さすが、と思ったので、引用する。

これからが正念場です。
心ない言葉に傷つけられたり、たまには自分がわがままを言ってるのではないかと
自虐的に落ち込む場面もあるかもしれません。
そんなときは是非、思い出してください。
カゲリの後ろにはたくさんの障害のある仲間がいることを。
彼らのための闘いでもあることを。
多くの日本人は物事を穏便に収めようとします。
しかし、その結果が恩恵的な福祉行政です。
物わかりのいい障害者は可愛がられるでしょう。
それは施設にいて十分知ってますよね?
だけど、それは牧羊の生き方です。
野生に戻れば、襲われれば形振りかまわず必死で逃げ、
時には牙をむき咬みつかないと誰も助けてくれません。
そりゃあ、人情としてニコニコ可愛い障害者を助けたいという気持ちは
嘘じゃないでしょう。
結果に結びつくことだってあるでしょう。
しかし、そんな個人的な感情措置は数年で担当が変わればなくなるし、
それはやっぱり恩恵と同情というあやふやな土壌です。
そんな土壌にしっかりと根を張って生きることはできません。
権利としてしっかり認めてもらうことが大切です。
生きていく権利が笑ってるだけで認められた歴史なんて世界中どこにも
存在しません。
みんな批判され、傷つけられながらも闘って勝ち取っていったんです。

ひつじのじりつ。
Gさん(自立生活センターの人)に教えてもらった言葉だ。
わたしたちは確かにか弱い障害者なのだけど、
そして、それ故、おおかみにはなり得ない、「ひつじ」なのだけど、
柵の中に安住するのではなくて、
遙かな荒野を目指す。
荒野で、自分で選んで自分で決める暮らしをする。
わたしはこの自立生活運動にこれからしばらく専心したいと考えている。