2014年 3月

介助者が入浴介助できないと云う。
それで、コーディネーターからその介助者の前の介助者の時間に、入浴できませんかね、と相談された。
だけど、わたしはそうしたくなかった。
だから、「難しいです」と伝えた。
コーディネーターは「判りました、」と答えて、入浴介助できない介助者の時間に同行に来てくれることになった。

その話は終わって、問題ないのだけど、わたしはぐるぐるし、死にたくなってしまう。

ひとりで入浴できないのだから、それぐらい合わせるのが当然で、やらないのは「わがまま」だと云う風潮がそこにはある気がして。

今日も夜勤帯で入浴しようと思っていた。
そう云ったら、「できれば、同行のうちにお願いできませんかね、」と云われた。

いったんはその予定にしたけれど、ぐるぐるし出したわたしにとって、従うことは苦痛でしかなくて。
泣きながら、Gさん(自立生活センターの人)に電話して、「気にする必要、ないよ。」との言葉をもらって、
中止する。

容易く死にたくなってしまうので、困ってしまう。
発達障害のミーティングでも、「企死念慮(きしねんりょ・死にたいと願うこと。ただし自殺願望と違うのは、客観的に理解できない理由で死にたいと願うことである。)」がよく話題になる。
みんな、死にたくなると云うのだ。
「人生とは、浅ましさとの闘い」だと云っている人もいた。
わたしは基本的に死にたい人なので、その気持ちはよく判る。

ふだんは今の自分には生きて行く意味も価値もあると思えているのだけど、
そうやっている時でも、死にたいのは背後に潜んでいる。
そうして、ふとしたきっかけで、わたしは死に引き寄せられてしまう。