2014年 8月

「フツーのひとと同じように扱ってあげたいんです。」

わたしが発達障害ゆえの苦痛を訴えると、介助者が云う。

でも、だって、
違うのに?

「歩けないことと同じでしょう?」

云うと、「そうですけど、」と云う。
「ミカヅキさんだって、特別扱いは厭(いや)でしょう?」と。

反論することばをわたしは持っていなくて
仕方なく云う。

「頓服をください。」

でも、だって、
顕かに
違うでしょう?

それは、
特別扱いなんかぢゃなくて、
「合理的配慮」ってやつなんぢゃないの?

「ミカヅキさんと解り合いたいんです。」

介助者が云い、
わたしは解り合いたくなんか、ないと思う。
侵入(はい)って来ないで、と。

誤解されるのを畏れずに、ぶっちゃけてしまうなら、
介助者には手足になってもらいたい。
友達になりたいわけぢゃない。

嗚呼
ATフィールドが邪魔をする。
わたしは思う。

四肢麻痺になる前にも、
自意識の問題は常にわたしから離れなかった。

ATフィールドとは、『新世紀 エヴァンゲリオン』に出てくる
個人を個人たらしめている境界の膜のこと。

「寝てないミカヅキさんを寝てないわたしが連れて行くのは、」
介助者が云い、
「連れて行く?」と、
わたしはひっかかりを覚える。

横になって、枕をした後に、お茶が飲みたくなってしまい、
「先に云えば、善かったですね。」
と云ったら、
「ミカヅキさん、そこだと思いますよ。」
と云われた。
「何がですか?」
「いろんなヘルパーさんが困るの。」

云いたいことは判るのだけど、反発を覚えてしまう。

わたしは云ってみる。
「でも、Gさん(自立生活センターの人)は、それで善いと云っていましたよ?
二度手間、三度手間になろうが、時間の中だったら仕事なのだから、何度でもやってもらえば善い、と。」

「そりゃ、Gさん(自立生活センターの人)がそこを否定したら、嘘だと思うけれど、」
納得していなそうに、介助者が云う。

この介助者に最近、傷つけられていることに、わたしは思い当たる。
それで、そのことを云う。

介助者からは、膨大に反応が返ってくる。
わたしは、そのあまりの膨大さにくらくらする。

もはや、云い訳にしか、聞こえない。

そう云う。
「情報量が多すぎて、苦しいです。周辺の例ばかりで、云い訳にしか聞こえません。」

「わたしはいろんな例を持ってくることで、ミカヅキさんと解り合いたいんです。」

頼むから、侵入(はい)ってこないで。