自分に魔法をかける。


「自立すること=我慢すること」ではない。
寧ろ、自由になることだとわたしは思っている。
だけど、施設としては「自立=我慢」だと思っているみたいだ。
何かと云うと、「自立するんでしょう。」、「そんなんぢゃ自立できんよ。」と我慢を求められる。
かさかさが降り積もって行く。
「自立に向けて」、早く寝ましょうだの、離床時間を伸ばしましょうだの、
はっきり云って、知ったこっちゃない!
わたしの目指す自立は、
そんなのの延長線上にはない。
だけど、云わない。
大人だから。嘘。的外れだけど、悪気があるわけではないことは、ちゃんと判っているから、だ。
施設としては、わたしのために考えてやっているから、だ。
でも。
離床時間を伸ばすのはつらすぎるので、
やめたいと云ったけれど、許してもらえなかった。
「わたしの生活だから、好きにしたい。」
「ここで、うちらの手借りんで生きていけると?」
そう云われたら、離床するしかない。
遠回しに「好きにするならうちらは介助しないよ。」と云っているようなものだ。
それは脅しだし、人権侵害だと思う。
かさかさが降り積もって行く。
離床していて、お尻が痛くなったので「座り直させて。」と頼んだら、
「なんでー? そりゃ、お尻も痛くなるよ。自分がずっと座っとうけやん。」と厭な顔された。
好きで座っているのではないのに!
かさかさが降り積もって行く。
昼ご飯を待つあいだ、あんまりつらいのでテーブルに突っ伏していたら、
「そんなにきついならパソコン、控えたら?」と云われた。
つらいのはパソコンぢゃなくて、離床することなのに!
わたしの目指す自立とは、我慢をしないこと。
自分で選んだことを自分の責任においてやること。
自由になること。
自分に魔法をかけよう。
今のかさかさに負けないために。
ひとり暮らしをはじめたら、少なくともこう云うかさかさはなくなるのだから、
今はまだ聞き流すのだ。
大丈夫。
施設がどんな自立を描こうと、遵う必要はない。
時が来れば、
わたしはちゃんと自分の翼で飛び立てるから。
だから、大丈夫。

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