[孤高]


最近、言葉が通じないことが多くて悩んでいた。
介助者に、何気なく使った語句の説明を求められることがあんまりたびたびで、メインの会話より付随する語句を説明することのが主になったり。
仮令ば、「秀逸」と云う語句を何気なく使って、「何ですか、それ。」と云われる。
「秀でて逸脱すること。」と云ったら「イツダツ? いつか脱走、ですか?」とか、「イチモツが浮かびました。」とか。
で、メインの話ができなかったり。
「大学のころのように当たり前に語彙力が同じくらいのところで話がしたいよー。」と思って、悩んだわけなのだ。
「みんな、頭悪いの? どうやって、生きて行けばいいの?」と(苦笑)。
我ながら大袈裟だと思いつつも、わりあい切実に。
「わたしの言葉は誰にも通じないよー。うきーっ。」ってなってたのだ。
でも、今日、発達障害のミーティングでみんなに訊いてみた。
「周囲に言葉が通じないのだけれど。」って。
たとえば、どんな話を?って訊かれたから、
「たとえば、無意識の海に人間の自我が浮かんでいて、」と云ったら、
「集団的無意識のことですか?」、「ユングですか?」、「トランスパーソナル心理学ですね。」と口々に云われて。
「あれ、なんだ、通じるぢゃん。」って。
なんか凄く安心できた。
それで、点字図書館に行って帰ってきたのだけど、
点字図書館が引っ越したから、もの凄く久しぶりにデイジー(音訳図書)を借りてきた。
「さよならトビュッシー」でこのミス大賞を獲った人の「おやすみラフマニノフ」と云う小説を聴いて、
滅茶苦茶面白くて、
「やっぱり言葉、頑張ろう。孤高で行こう。圧倒的な力にするまでは、孤高でも仕方ない。」と思いなおして。
と云う経緯を介助者に云ったら、「その心の推移をGさん(自立生活センターの人)にメールしているところなんです。」と云ったのに、
「なるほど。その、心の推理には、わたしのイチモツ発言、出てきます?」と云われたけれど。
昨日だったら、「心の推理って何ぢやそりや。゛(`ヘ´#) ムッキー。」となっていたと思うのだけど、
今はそれも愉しめばいいさ、と云う気になったりして。
さらに考察を進めると、発達障害のミーティングのみんなのような人と、介助者のみんなのような人との、橋渡し的なことがいつかできればいいな、と思ったり。
Gさん(自立生活センターの人)が前に「これだけの文章力があればもっと伝わるようにすれば凄いことができる。」と云ってくれたのだけど、
そっち方面、ちゃんと頑張ってみようと思って。
「粛々と執り行うことを決めました。」と、介助者に宣言して、
例によって、(´ρ`)ぽか~んとされたけれどね(笑)。
粛々と執り行おうと思う。生活を。
弛まず粛々と。
2013.05.13.

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