氷砂糖

三日月少女革命




自分の障害について、詠んだ短歌です。
「氷砂糖」と云う語の「透徹な哀しみ」のようなものがとてもそぐうのでした。




[氷砂糖]

ミカヅキカゲリ

・わたくしが持つ障害がわたくしにさせることとかできぬこととか

・かなしみはすきとおるまで眺めましょ やがてはあまく氷砂糖に

・自分ではどうにもならない障害を氷砂糖と名づけて眺む

・語彙の持つ いつかのさみしさ わたくしと氷砂糖はどこか似ている

・夕暮れにみんな帰った原っぱにいるよう氷砂糖のココロ

・「できない」を克服せよ、と云われると氷砂糖がチリリと疼く

・みないふりしているけれどしっているわたしはかなりきずついている

・障害を氷砂糖と名づけてもやるせなさは減らないけれど

・わたくしがわたくしであるやるせなさ 氷砂糖になるのを待って

・これからも氷砂糖と歩いてく誰かの勇気、なれるときまで



2013.02.18.

ゴタク

[ATフィールドが邪魔をする]

「ミカヅキさんと解り合いたいんです。」

介助者が云い、
わたしは解り合いたくなんか、ないと思う。
侵入(はい)って来ないで、と。

誤解されるのを畏れずに、ぶっちゃけてしまうなら、
介助者には手足になってもらいたい。
友達になりたいわけぢゃない。

嗚呼
ATフィールドが邪魔をする。
わたしは思う。

四肢麻痺になる前にも、
自意識の問題は常にわたしから離れなかった。

ATフィールドとは、『新世紀 エヴァンゲリオン』に出てくる
個人を個人たらしめている境界の膜のこと。

「寝てないミカヅキさんを寝てないわたしが連れて行くのは、」
介助者が云い、
「連れて行く?」と、
わたしはひっかかりを覚える。

横になって、枕をした後に、お茶が飲みたくなってしまい、
「先に云えば、善かったですね。」
と云ったら、
「ミカヅキさん、そこだと思いますよ。」
と云われた。
「何がですか?」
「いろんなヘルパーさんが困るの。」

云いたいことは判るのだけど、反発を覚えてしまう。

わたしは云ってみる。
「でも、Gさん(自立生活センターの人)は、それで善いと云っていましたよ?
二度手間、三度手間になろうが、時間の中だったら仕事なのだから、何度でもやってもらえば善い、と。」

「そりゃ、Gさん(自立生活センターの人)がそこを否定したら、嘘だと思うけれど、」
納得していなそうに、介助者が云う。

この介助者に最近、傷つけられていることに、わたしは思い当たる。
それで、そのことを云う。

介助者からは、膨大に反応が返ってくる。
わたしは、そのあまりの膨大さにくらくらする。

もはや、云い訳にしか、聞こえない。

そう云う。
「情報量が多すぎて、苦しいです。周辺の例ばかりで、云い訳にしか聞こえません。」

「わたしはいろんな例を持ってくることで、ミカヅキさんと解り合いたいんです。」

頼むから、侵入(はい)ってこないで。

[孤高]

最近、言葉が通じないことが多くて悩んでいた。
介助者に、何気なく使った語句の説明を求められることがあんまりたびたびで、メインの会話より付随する語句を説明することのが主になったり。
仮令ば、「秀逸」と云う語句を何気なく使って、「何ですか、それ。」と云われる。
「秀でて逸脱すること。」と云ったら「イツダツ? いつか脱走、ですか?」とか、「イチモツが浮かびました。」とか。
で、メインの話ができなかったり。
「大学のころのように当たり前に語彙力が同じくらいのところで話がしたいよー。」と思って、悩んだわけなのだ。
「みんな、頭悪いの? どうやって、生きて行けばいいの?」と(苦笑)。
我ながら大袈裟だと思いつつも、わりあい切実に。
「わたしの言葉は誰にも通じないよー。うきーっ。」ってなってたのだ。
でも、今日、発達障害のミーティングでみんなに訊いてみた。
「周囲に言葉が通じないのだけれど。」って。
たとえば、どんな話を?って訊かれたから、
「たとえば、無意識の海に人間の自我が浮かんでいて、」と云ったら、
「集団的無意識のことですか?」、「ユングですか?」、「トランスパーソナル心理学ですね。」と口々に云われて。
「あれ、なんだ、通じるぢゃん。」って。
なんか凄く安心できた。
それで、点字図書館に行って帰ってきたのだけど、
点字図書館が引っ越したから、もの凄く久しぶりにデイジー(音訳図書)を借りてきた。
「さよならトビュッシー」でこのミス大賞を獲った人の「おやすみラフマニノフ」と云う小説を聴いて、
滅茶苦茶面白くて、
「やっぱり言葉、頑張ろう。孤高で行こう。圧倒的な力にするまでは、孤高でも仕方ない。」と思いなおして。
と云う経緯を介助者に云ったら、「その心の推移をGさん(自立生活センターの人)にメールしているところなんです。」と云ったのに、
「なるほど。その、心の推理には、わたしのイチモツ発言、出てきます?」と云われたけれど。
昨日だったら、「心の推理って何ぢやそりや。゛(`ヘ´#) ムッキー。」となっていたと思うのだけど、
今はそれも愉しめばいいさ、と云う気になったりして。
さらに考察を進めると、発達障害のミーティングのみんなのような人と、介助者のみんなのような人との、橋渡し的なことがいつかできればいいな、と思ったり。
Gさん(自立生活センターの人)が前に「これだけの文章力があればもっと伝わるようにすれば凄いことができる。」と云ってくれたのだけど、
そっち方面、ちゃんと頑張ってみようと思って。
「粛々と執り行うことを決めました。」と、介助者に宣言して、
例によって、(´ρ`)ぽか~んとされたけれどね(笑)。
粛々と執り行おうと思う。生活を。
弛まず粛々と。
2013.05.13.

表面上、こわくなければ。

切ろうと思った人と修復中。
日曜日にそのひとが入っているところに、Gさん(自立生活センターの人)が心配して見にきた。
すると、今までの態度は何だったの?と云うくらい、普通に戻った。
そのまま、別れて、今日、すっかり普通!
謎。
でも、わたしは発達障害なので、表面上、こわくなければ、わりと平気!
(いいのか?)

革命家として

「これをやって生きて行くと云うものがありますか?」
エイプリルフールメールで投げかけた。
エイプリルフールには誰ひとり、気付いてくれなかったけれど、
この投げかけには、結構、みんな、応えてくれた。
中で結構の人が、
「カゲリちゃんは小説だよね?」
と書いてきた。
厳密に云えば、違う。
小説が書きたいのではないみたいだ、最近、気付いたのだけど。
そうではなくて文章。
理想的には、
わたしのパーソナリティが認められて、文章を求められるようになりたい。
有名になりたいのかも!?
ひとりきりで、団体をやっている。
設立する時に、わたしは書いた。

三日月少女革命とは、ミカヅキカゲリがひとりきりで運営するプロジェクトです。
詩歌集の出版、サイトの運営、メールマガジン、音楽、表現活動を通じて、自己実現、社会変革の両方を目指します。
ミカヅキカゲリは障害者です。四肢麻痺に加えて、高機能自閉症と云う発達障害も抱えています。ひとりでは何もできません。
それでも、24時間の介助をつけてひとり暮らしをはじめました。
障害があっても、自由に自立した生活をすること。
それは、本来、当たり前のことです。でも、現状、まだまださまざまな困難があります。
三日月少女革命は、ミカヅキカゲリのひとり暮らしへの挑戦、出会う困難から生まれるものを通じて、自己実現だけでなく、よりやさしい、より成熟した世界を目指す、しずかな革命なのです。

革命家として、生きて行こう。
わたしは何もできないけれど、
空想することができる。
空想とは、
空を想うこと。
この赤い車椅子でわたしは空を想う。
この挑戦が、誰かの勇気になる時まで。
革命家として、生きて行こう。
・革命家として生きてく挑戦が誰かの勇気、なれる時まで

頑張れない

ひとを切ろうか、と思っている。
頑張ろうと思ってきた。実際、頑張ってきた。
だけど。
「何をそんなに気を遣っているんですか? 面白かったです。」
と云われた。
云われて、一気に醒めてしまった。
わたし、何を無理してたんだろう。
もう頑張れない。
澱(おり)のように、どす黒いものが降り積もる。
澱(おり)のようにどす黒いものが這い上がってくる。
こんなの、わたしぢゃない。
躰(からだ)の中でちいさなわたしが叫ぶ。
いやいやをする。
ほんとうのわたしは酷く遠いところにいて、あーあ、と、どこか、醒めている。
あーあ。頑張ってきたのにね。
けれど、頑張れないと思ったのはほんとう。
ちいさなわたしを宥めて、認めてあげよう。
仕方ない。

[心的エネルギー]

クリスマスイブになった夜更け
いいかげん お風呂に入ろうと思うのに
動けない
介助者は寝ている気配
わたしはだらだら パソコンをやってしまう
お風呂に入るのには
心的エネルギーを要する
お風呂に入るのに三時間くらい掛かるから だ
そして その間ぜんぶ指示を出さなければならないから だ
心的エネルギーを要する
ひとりでパソコンに向かっている方が
どんなにか 楽か知れない
でも
わたしは人生を耕すのではなかったか
楽に流れることは
たやすい
けれど 人生を耕すと云うのは
心的エネルギーを惜しまないことだ
その面倒臭さもまること
すべてを引き受けることだ
<生きる>ことだ
心的エネルギーが出ないなら
出せば善い
出すためのコトバを綴ろう
わたしには何もできないけれど
わたしにはコトバがある
わたしにはコトバがあるのだから
コトバに縋ろう
ほら
ストレッチマンとストレッチした時にストレッチパワーがたまってくるように
心的エネルギーがたまってきた
さあ
お風呂に入ろう
2012.12.24.03:33

目標。

2012.12.10.目標。
1.毎日、お風呂に入る

お風呂に三時間くらい掛かってしまうので、面倒臭いと思ってしまうことがある。
けれど、アトピー的にも疲れをとるためにも、頑張って毎日、入るようにする。

2.今週中に週間スケジュールを立てる

今、行き当たりばったりで暮らしている。
だけど、だいたい、外出するスケジュールも固まってきた。だから、それを組み込んだ、週間スケジュールを立てて、来週から運用する。

3.ただ生活するだけではなく、ちゃんと高みを目指す

進化を目指す。

4.家計簿、生活記録をつける

こまめにしてきちんと振り返ることをする。

5.創作活動の時間を意識的に設ける

生活することに手一杯になってしまいがちだけど、わたしの夢はやっぱり文章を書いてて生きて行きたいので努力する。

6.2時半までには寝る

夜型になりすぎない。

「闘う」と云うこと。

区役所の人の前で泣いたことについて、父親からダメ出しのメールをもらった。

区役所の人も必死だよ。一人に24時間出すなんてそんなに前例がないからな。だから、こちらの粘りが必要だ。それには、泣くのは反対。
泣く作戦より、相手を味方にする作戦が良い。そのためにはニコニコしていっしょに頑張ろうと思わせる方が良い。とにかく粘り強く分かって貰う為ニコニコ作戦がいい。泣くのはやめた方がいい。
多分粘れば認めるだろう。認めないならもう認めないと結論が出てると思う。ここが頑張りだね。

Gさん(自立生活センターの人)と父親のスタンスがあんまり違うので、苦笑させられた。
父親は子供を相手にしてきた人で、Gさん(自立生活センターの人)は自立生活運動を闘ってきた人だから、この違いなのかな、と思った。
そして、お父さん、わたしは今、闘っているところなのだよ、と。
24時間の介助をつけないことについて、Gさん(自立生活センターの人)のメール。

やはり施設から出る際には、基準を施設内での実介助時間数のみ
(見守り介助を算定しない)で算定するので24時間は必要ないという判断が北九州の考えです。
表向きは認めませんが。
今回はカゲリのケースでこの間違った慣例を打破できるかの闘いです。
数年前には北九州で24時間介助はあり得ませんでした。
それを交渉を積み重ね、いまは、必要ならば24時間を出すということに変わりました。
そして、こうした事例が一つ出ると行政は継続性と中立性の原則から似た事例には
24時間を比較的簡単に出すようになりました。
今回違うのは、僕のケースは自宅からのひとり暮らしで、深夜介助の記録など
減らすための材料を行政は手に入れられなかったのに比べ、施設には実介助記録が
残っているのでこれを根拠に減らそうとするはずです。
しかし言ってるように、呼ばれていない時間も「見守り介助」は続いているわけで、
ここをきちんと介助時間に算定してもらえるか、そして、見守り介助がカゲリには
必要か、を認めさせられるかがキーです。
これはカゲリ一人の闘いではないんですよ。
今後、施設から出たがる仲間に希望の道を開けるかどうかの闘いです。
カゲリの耕す道が、仲間の障害者の道となるのです。

なんだか頑張ろうと思うよね!
わたしが耕す道はわたしひとりのためにあるのではないのだな、と思うと。
Gさん(自立生活センターの人)からまたメールが届いて、わたしがお父さんに対して、感じたことが文章化されていた。
さすが、と思ったので、引用する。

これからが正念場です。
心ない言葉に傷つけられたり、たまには自分がわがままを言ってるのではないかと
自虐的に落ち込む場面もあるかもしれません。
そんなときは是非、思い出してください。
カゲリの後ろにはたくさんの障害のある仲間がいることを。
彼らのための闘いでもあることを。
多くの日本人は物事を穏便に収めようとします。
しかし、その結果が恩恵的な福祉行政です。
物わかりのいい障害者は可愛がられるでしょう。
それは施設にいて十分知ってますよね?
だけど、それは牧羊の生き方です。
野生に戻れば、襲われれば形振りかまわず必死で逃げ、
時には牙をむき咬みつかないと誰も助けてくれません。
そりゃあ、人情としてニコニコ可愛い障害者を助けたいという気持ちは
嘘じゃないでしょう。
結果に結びつくことだってあるでしょう。
しかし、そんな個人的な感情措置は数年で担当が変わればなくなるし、
それはやっぱり恩恵と同情というあやふやな土壌です。
そんな土壌にしっかりと根を張って生きることはできません。
権利としてしっかり認めてもらうことが大切です。
生きていく権利が笑ってるだけで認められた歴史なんて世界中どこにも
存在しません。
みんな批判され、傷つけられながらも闘って勝ち取っていったんです。

ひつじのじりつ。
Gさん(自立生活センターの人)に教えてもらった言葉だ。
わたしたちは確かにか弱い障害者なのだけど、
そして、それ故、おおかみにはなり得ない、「ひつじ」なのだけど、
柵の中に安住するのではなくて、
遙かな荒野を目指す。
荒野で、自分で選んで自分で決める暮らしをする。
わたしはこの自立生活運動にこれからしばらく専心したいと考えている。

流せなかった。

最近、わたしはお金が圧倒的に足りないことを悩んでいる。
ミカちゃん(弟)から懇々と諭された。
エヴァンゲリオンスマホのことをスタッフから「ダメなんやないん?」と云われて、流せなかった。
なんとか、「わたしは大人よ?」と抵抗したものの、更に云われて、臨界点を越えた。
「余計なお世話ぢゃない?」
云ってしまった。
施設とかスタッフとかがわたしのために考えてくれることが、悪気があってしているわけではないと判ってはいるのだけど(だから、極力云わないようにもしているのだけど)、
ぶっちゃけてしまえば、
知ったこっちゃない!
自立するために、離床時間を伸ばしましょうとか、早く寝ましょうとか、ご飯を残さないようにしましょうとか。
失敗する自由さえ、与えられていない感じ。
わたしが目指す自立と、
施設とかスタッフとかが考える自立には、
乖離があって、
だけど、云っても仕方ないから、
普段は流している。
けれど、今日は流せなかった。

自分に魔法をかける。

「自立すること=我慢すること」ではない。
寧ろ、自由になることだとわたしは思っている。
だけど、施設としては「自立=我慢」だと思っているみたいだ。
何かと云うと、「自立するんでしょう。」、「そんなんぢゃ自立できんよ。」と我慢を求められる。
かさかさが降り積もって行く。
「自立に向けて」、早く寝ましょうだの、離床時間を伸ばしましょうだの、
はっきり云って、知ったこっちゃない!
わたしの目指す自立は、
そんなのの延長線上にはない。
だけど、云わない。
大人だから。嘘。的外れだけど、悪気があるわけではないことは、ちゃんと判っているから、だ。
施設としては、わたしのために考えてやっているから、だ。
でも。
離床時間を伸ばすのはつらすぎるので、
やめたいと云ったけれど、許してもらえなかった。
「わたしの生活だから、好きにしたい。」
「ここで、うちらの手借りんで生きていけると?」
そう云われたら、離床するしかない。
遠回しに「好きにするならうちらは介助しないよ。」と云っているようなものだ。
それは脅しだし、人権侵害だと思う。
かさかさが降り積もって行く。
離床していて、お尻が痛くなったので「座り直させて。」と頼んだら、
「なんでー? そりゃ、お尻も痛くなるよ。自分がずっと座っとうけやん。」と厭な顔された。
好きで座っているのではないのに!
かさかさが降り積もって行く。
昼ご飯を待つあいだ、あんまりつらいのでテーブルに突っ伏していたら、
「そんなにきついならパソコン、控えたら?」と云われた。
つらいのはパソコンぢゃなくて、離床することなのに!
わたしの目指す自立とは、我慢をしないこと。
自分で選んだことを自分の責任においてやること。
自由になること。
自分に魔法をかけよう。
今のかさかさに負けないために。
ひとり暮らしをはじめたら、少なくともこう云うかさかさはなくなるのだから、
今はまだ聞き流すのだ。
大丈夫。
施設がどんな自立を描こうと、遵う必要はない。
時が来れば、
わたしはちゃんと自分の翼で飛び立てるから。
だから、大丈夫。